ブランコあそび

秋千(ぶらんこ)は春の季語なんだよ

ラインに乗った患者たち

先日、ほんの気休め程度に心療内科とやらに行ってみた。
適当に話をして、薬を処方されるだけ。風邪や何かと違って、良くなる保証はどこにも無い。その割には中々高くつく診療内容だという偏見を、私は持っている。

そのクリニックは、古い雑居ビルの中にあった。急な階段は汚く、院内はとても狭かった。ビルの汚さと階段の薄暗さに反し、院内だけが異様に清潔で、明るく目に眩しかった。
そして「心が落ち着くでしょう」とでも言いたげに、オルゴール調に変えられてしまった退屈なJ-POPが流れ、アロマの香りが狭い院内に強く匂っていた。

何せ狭いのだ。そして何より、あろう事か診察室の壁も薄過ぎた。
私の前の患者の診察内容がぼそぼそと聞こえてきて、私は居心地が悪くなった。
「以前と変わらず落ち込んで」「薬は」「鬱状態が激しく」
断片的に聞こえてきた単語に、私はウンザリした。今から私も、こんな会話をしなければならないのか。いや、そんな会話をしに来たのだ。仕方が無いだろう。
しかし、このどうにも光明の見えぬ会話を、私の後に待っている目の前の患者にも聞かれるのか。ああいやだ嫌だ。とんでもない所に来てしまった。
私は待合室のソファに深く腰掛け、誰とも目が合わぬようにして枯れかけの観葉植物の葉先を只々じっと見詰めていた。

数分経って、患者が出てきた。もう終わったらしい。余りの早さにまた不安になる。たったこの十分未満で、心が傷んでいる人の何が分かると言うのだろう。
間もなく白衣の中年に名前を呼ばれ、診察室に入った。
診察室もまた狭かった。事務机があり、カルテが収まっているであろう無機質な灰色の棚があるのみ。それだけだった。
白衣の中年は、先ほど私が書いた問診票を眺めながら数点質問する。灰色の棚と事務机と同じように、あくまで無機質に淡々と。
「どのような症状ですか?」
「寝付きが悪く、眠りも浅いです」
「それはどれ位前からですか?」
「数年前からです」
彼は私の顔も見ず、問診票に書いてある事を繰り返し、カルテに難しい文字を書いていく。
「ここ一週間ほど食欲が無くて困ってます」
「しかし体重に変化はありませんよね?」
「いえ、五から六キロ程減りました」
そう言った時、その白衣はようやく私の方を向き、瞳を大きく開き私と目を合わせ、
「一週間でですか?それはちょっと。本当に何も食べてないんですね!」
と驚き、人間らしさを見せたのだった。私は少し可笑しくなって、頷きながら口角の上がってしまったのをそっと隠した。
それからは何でも良いから食べる事、眠る事、他の薬については経過を見次第処方するという結論を出された。
今回は心が落ち着くだとか、楽になるだとか、眠気がくるだとか、相応の薬を処方するとの事だったが、正直進んで飲みたいとは思えなかった。

やはり私の診察も、ものの数分で終わった。意味はあったのかという後悔や虚しさの自問自答よりも、私の眠れないだの何だのという会話が、先の人と同じように待合室にも聞こえただろうなと思う方が苦痛であった。

そうして最後に、鬱かどうかという診断テストも受けさせられたが、結果はまた次回との事だった。
質問に対して「はい」「まぁまぁ」「いいえ」このいずれかに丸をするだけのものだった。たったこの十にも満たない質問の答えが、何故今出せないのだろう。
来週また来させるためのテストなのだろうか、まぁビジネスだしなぁと、私は何となく冷めた心持ちでそのテスト用紙を受付に提出したのだった。

終わりに受付で診療代の三千円と幾らかを払う頃には、私の次の患者はもう診察を終えていた。工場のライン作業みたいだと思った。
辛いです、薬を出しましょう、眠れません、薬を出しましょう。あちこちのクリニックでこんなやり取りがされているのかと思うと、そして私もその大多数のそこに入ってしまったのだと思うと、私はとことん普通の生きる人間なのだと思い知らされた。

帰路にある喫茶店で、処方された薬を言われた通りに飲んでみた。別段何も変わりはしなかった。
やはりピアスやヘアクリップを見るのは嫌だし、派手な女性に対して劣等感が凄まじいし、脳味噌のどこかでぐよぐよ、づりづりと考え事をしている。

夜は夜で、例の睡眠導入剤というものを初めて飲んでみた。口に含む前に、誰かが言った「依存性」「中毒」と言う単語が思い出されほんの少しの恐ろしさを感じたが、何のことは無かった。
その夜私が眠ったのは明け方の4時、いつも通りだった。
私が通常通りで、薬が効くような悩みがないのか、そのクリニックが藪なのか何なのかは良く分からないが、私は何だかまた可笑しくなって、「ああ、そういう所に行こうと思える余裕はあるのか」と、少し冷静になれたのだった。
しかしまだ、これをアルコールと摂取する勇気はないし、益々虚しくなるだけなのが理解されるので、恐らくはしないだろうと思う。

ところで、白衣の中年は患者に「死にたいのです」と言われた時、いつも何を思うのだろうか。
初めてそう言われた時、彼はどう思ったのだろうか。
そして今言われた時、彼はどう思うのだろうか。
カルテにのみ目を落とす中年のまるい横顔をぼんやり眺めながら、そんな事を考えていた。
「死にたいのなら、死んでしまいなさいな」
私ならば、そう思うに違いない。

対面とか隣とか

久しぶりに、以前によく行っていた喫茶店へ行った。
いつも通り、ミルク付きの温かい紅茶を頼む。

紅いような茶色いような、けれど透明の液体。私はこれが大好きだ。
ガラス製のカップの縁を唇に当てただけで、それがどれ程に熱いものか理解する。少しでも冷まそうとその熱い湯面に息を吹き付けるが、蒸気がふわりと舞うだけで、飲める温度になるとは思えなかった。
蒸気が舞う度、私の眼鏡の下っ側が白く曇ってはまた透明になった。
蒸気はすみれ色の花のような、桃色の花の蕾のような甘い香りを纏っている。
熱かろうと恐る恐る口に含むとやはり熱く、そしてその甘い香りに反して少しの苦味があった。
久しぶりに飲む紅茶であった。
甘い香りの苦く熱い液体は、私の空っぽの胃に、ひたひた、じわじわと落ちていく感じがされた。
私はこのちゃんとした紅茶の味を思い出した。数日前に飲んだものは、これに果物を足したようなもっともっと甘い香りに、舌に残るようなもっともっと苦い味があった。
その時私は泣いて、そして笑っていた。

今日、私の対面には誰も居ない。
私は一人がけのソファに、普段ならばまずしないだろう、堕落して深く腰を沈めた。
私は若者の声がした窓の外を見た。
ここは音楽大学が近いのだ。
何の楽器だろう、大きな黒いケースを背負う人、フルートだろうか、細長く小さなスーツケースのようなものを持つ人、皆一様に様々な荷物を持ち背負って、何事やら談笑しながら通り過ぎて行った。
私の若い頃は、私があの時分には何をしていただろうか。
あんなに輝かしい笑顔を見せていただろうか、友達に囲まれていただろうか。
それは愚問であった。
信用出来ると思い込んでいた私の友人というのが、たった昨日、最悪のかたちで居なくなった。
今日の私の心は、ある人への、更に世間への罪悪感で、すっかり押し潰された後だった。昨日の私は、言い訳の余地のない己の愚かさにただ階段を見詰め、線路を見詰め、しかしながら結局何事もなく今日という日を過ごしている。

私の対面には誰もおらず、横にもおらず、まぁこういうのが一番性に合っているのだろう。
そう言い聞かせながら、私はやっと飲み頃になった紅茶に、ミルクを入れた。
そうして柔らかい色合いになった紅茶には、苦味が消えていた。
その代わり、香りも消えていた。