ブランコあそび

秋千(ぶらんこ)は春の季語なんだよ

対面とか隣とか

久しぶりに、以前によく行っていた喫茶店へ行った。
いつも通り、ミルク付きの温かい紅茶を頼む。

紅いような茶色いような、けれど透明の液体。私はこれが大好きだ。
ガラス製のカップの縁を唇に当てただけで、それがどれ程に熱いものか理解する。少しでも冷まそうとその熱い湯面に息を吹き付けるが、蒸気がふわりと舞うだけで、飲める温度になるとは思えなかった。
蒸気が舞う度、私の眼鏡の下っ側が白く曇ってはまた透明になった。
蒸気はすみれ色の花のような、桃色の花の蕾のような甘い香りを纏っている。
熱かろうと恐る恐る口に含むとやはり熱く、そしてその甘い香りに反して少しの苦味があった。
久しぶりに飲む紅茶であった。
甘い香りの苦く熱い液体は、私の空っぽの胃に、ひたひた、じわじわと落ちていく感じがされた。
私はこのちゃんとした紅茶の味を思い出した。数日前に飲んだものは、これに果物を足したようなもっともっと甘い香りに、舌に残るようなもっともっと苦い味があった。
その時私は泣いて、そして笑っていた。

今日、私の対面には誰も居ない。
私は一人がけのソファに、普段ならばまずしないだろう、堕落して深く腰を沈めた。
私は若者の声がした窓の外を見た。
ここは音楽大学が近いのだ。
何の楽器だろう、大きな黒いケースを背負う人、フルートだろうか、細長く小さなスーツケースのようなものを持つ人、皆一様に様々な荷物を持ち背負って、何事やら談笑しながら通り過ぎて行った。
私の若い頃は、私があの時分には何をしていただろうか。
あんなに輝かしい笑顔を見せていただろうか、友達に囲まれていただろうか。
それは愚問であった。
信用出来ると思い込んでいた私の友人というのが、たった昨日、最悪のかたちで居なくなった。
今日の私の心は、ある人への、更に世間への罪悪感で、すっかり押し潰された後だった。昨日の私は、言い訳の余地のない己の愚かさにただ階段を見詰め、線路を見詰め、しかしながら結局何事もなく今日という日を過ごしている。

私の対面には誰もおらず、横にもおらず、まぁこういうのが一番性に合っているのだろう。
そう言い聞かせながら、私はやっと飲み頃になった紅茶に、ミルクを入れた。
そうして柔らかい色合いになった紅茶には、苦味が消えていた。
その代わり、香りも消えていた。