ブランコあそび

秋千(ぶらんこ)は春の季語なんだよ

赦し

私の父は、酒を飲んでは不機嫌になり、母をよく打っていました。理不尽に家族に怒鳴り散らしておりました。
母は私の成長するのをじっと待って、ただ耐えて、ある日突然に居なくなりました。遠方に住む姉の元へ逃げました。
私は、何も告げられずに置いて行かれた事を憎みました。母を打ち続けた父を呪いました。
誤解しないで貰いたいのは、これは悲劇ぶって、同情を誘いたくって書いているのではないという事です。
その証拠に、可笑しなもので父と母は今現在仲良く暮らしております。
父曰く、母への暴力は愛情だと。それが悪い事だと思わなかったと。聞いた時は狂気に他ならないと思いました。
母曰く、自分は我慢強いからと。私が居ないとお父さんが寂しくて死んじゃうでしょうと。聞いた時は自己犠牲の賜物だと皮肉に思いました。
正に割れ鍋に綴じ蓋。
母は殴られさえしなければ良いようで、しかし父は相変わらずの酒乱で、よく分からない両親だと今も呆れる事が多々あります。

私は、父の怒鳴り声や物の激しく壊れる音が大嫌いでした。ずっとずっと、父を憎んでおりました。
仕方ないとは言え、行き先も告げず独りで出ていった母を寂しく思い、恨みました。
憎みそして恨みましたが、ある日ふと唐突に「親である前に人間なのだ」と気付き、まるでまっさらな心になって、私は両親を赦したのでした。
親だと思うから憎く、寂しく、悲しかったのです。「人間」なのだと思うと、「それならば仕方ないね」と白い心になれたのでした。
その代わり、子供の頃のように素直な気持ちで接する事はもう二度と出来ないでしょう。

私も、私である前に一個の人間なのでした。私もいつの間にか誰かに恨まれ、そして赦されているのでしょう。
両親の話はもう十年程昔の事で、私はこの「赦す」と言う特技のようなものを忘れて居ました。
忘れたと言うよりも、件の事から「赦す」より先に「人を憎むべからず」という信念のようなものが出来てしまったのかも知れません。

けれど私は、今はよいにんげんぶるのを辞めようと思います。
誰かに傷付けられても、裏切られても、嘘をつかれても、「嫌な人間だとは思えない」「嫌いにはなれない」とずっと思っていました。
憎んではいけない、私はいつも笑っていなければならない、嫌いな人間をつくってはならない。
中でも私が特に重要だと思っているのが「憎めるほど人に対して興味を持たない」、「嫌われたくない」というものがあります。
しかしこれでは、自分が擦り減るばかりです。
興味が無くても好きな人は出来るし、親しい友人は出来るし、嫌われたくなくてへいこらしていたら、自分の感情はずっと閉まったままになります。自分の感情に対して見えない振りを続けるのは、とても苦しいものです。
しかしながら、普段からよいにんげんぶっている私は、どんな人間に対してもそんな調子で、だから気付かぬ内にざりざりと擦り減ってしまっていたのかも知れません。擦りそして摩擦された部分は、きっとささくれ立っていたのかも知れません。
だから、すり減ってなんにも無くなって、もうどうしようも出来なくなったようやっと今、よいにんげんぶるのを辞めようと思ったのです。

今日、何も出来ず独り無気力に天井を眺め、はらはら涙を流している内に、その両親の事を思い出しました。
私の特技は「赦す」事でした。
私を傷付け最終的に嘘をついた人間は、客観的に見るとどう考えても嫌な奴でした。
見知らぬ私を媒体越しに攻撃してきた人間も、客観的に見るとどう考えても嫌な子でした。
そしてそれを寛容ぶって擁護するその人間も、客観的に見るとやっぱり嫌な奴でした。
それでも客観的に見て嫌な人達だと言うだけで、やはり私は嫌な人達だとは今はまだ思えません。
よいにんげんぶるのを辞めた今ですが、「今はまだ」「客観的に見て」と言うのが精一杯です。思っている真実なのですから。

けれども私もきっと、嫌な奴でした。それも間違いありません。
彼も彼女も、それという人の前に、只の人間なのでした。只の一個の人間なのでした。私も同じく、只の人間なのでした。
ですから、私は赦します。あの日両親を赦したように、笑って赦すのです。誰かが私を赦してくれたように、私も彼等を笑って赦すのです。「仕方ないよね」と。

やはり私は人を憎めませんでした。
「人間だから赦す」という大変に傲慢な事をする他に、私は心の落ち着けどころを知らないのです。
それも、どうか赦して下さい。
今はただ、彼と彼女がそれなりに平和であるようにと、ほんの少し願うばかりです。
人間である彼が彼のままで居られるように、願うばかりであります。
よいにんげんぶらず、彼等がそうあるようにと誠に願い、そうして真の良い人間にならなければ、私は明日も明後日も、きっと無気力に天井を眺めはらはらと涙を流すだけでしょう。

最後は、私が私を赦すのみです。

無気力の中の美しいもの

別にポエムのような、薄ら寒い詩のようなものを書きたいのじゃない。私の語彙力の低さと才能の無さがそうせざるを得なくしている。そして、薄っぺらい内容も。
ただ、私の今のこの気持ちをどうにも出来ないので、書き落とす事で昇華しようと思っているだけなのだ。
だから内容も無い。歳不相応に痛くて寒い詩のようなものになっている…と、こうやって詰まらぬ事を書いて詰まらぬ体裁を取り繕おうとするのが、私の醜いところである。

今日は、私の数少ない友人と会う約束をしていた。
しかし私はやはり最低な人間で、熱が出た事にして予定をキャンセルしてしまった。
とてもじゃないが、今日の外出を楽しめる余裕が無かったのだ。

ここ数日、胃の中に常に何かが入っている感じがされて、水しか飲めない。何日食事をしてないか覚えてないけれど、何かを食べたいとまるで思えない。
それで私の醜かった脂肪は幾らか何処かへ消え去った。しかし、それを見せる相手もなし…。
体力の無さから、今日の外出を断ったと言うのもある。言う程見た目は変わりないが、少し歩けば脈拍が踊るように早くなるし、気管が狭くなったように息苦しくなるし、何より頭痛が酷い。人間にとって食事は大事な作業なのだなと思い知らされる。

私は食事をするのは大好きであったし、そして私は多趣味な人間であったが、その趣味のどれにも食指が動かない。
何かをしたいと思えない。
作業机の上にある彫刻刀やら粘土板は埃を被って汚くなり、クローゼットの中には出る幕の無い手芸用品やら細かなパーツが眠っている。
私はそれを掃除して整理する気にもなれず、私の趣味の物たちにも悲しい思いをさせている、かもしれない。

ところが、昨日「読んでも良い」とやっと許可が降りたある日記を読んで、ああ、自分も書くかと思えるようになったのだ。
ふとその人の「同一化して」という言葉を思い出した。
少し分かったような気がされた。
私は、煙草を吸いアルコール中毒で己の妻に暴力を振るう父の何かしらを真似したいとは終ぞ思わなかったが(私が父を許しているからかもしれない)、その人の真似ならばしたいと思った。
真似なのか、自発的なものではないのかと思うと、自分の小ささにガッカリする。

しかし、私は美しい文章や小難しい単語を知らないし、単純な詰まらない人間であるので、彼のような魅力的な美しいものは書けない。
それがまた私を苦しめる。知識だけではない、才能と、文に対する欲の差を感じるからだ。

「君はやはり何もかもが美しい!文字を見るその瞳も、ペンを持つその手も、そして書き落とした文章までも!」
彼の何もかもを愛しているが、こと文に関しては本当に美しく光るものがあると常に思っている。
手放しでそう彼を賛辞したい。しかしそれはもう私のする事では無い。
そう思うとまた私は、暗く狭く苦しい絶望の箱に仕舞われてしまうのだった。